2004 IDSFアジア大会レポ

 

9月に私達は初めて「日本代表選手」としてアジア大会に出場してきました。

このレポは、JDSFに対し報告をしたものをそのまま持ってきたので

ちょっとまじめに書いてあります。

まあたまにはこんなのもいいかと・・・(^_^;;(←単にサボってるだけ)

 


IDSF ASIAN DANCESPORT CHAMPIONSHIPS 2004

Asian Championship Latin

19.09.2004, Olympic Table Tennis Gymnasium. Seoul Korea


Place No. Name                   Country

1. 26 YUKINORI SUGANO / NAOKO TOKIWA JAPAN

2. 31 JOHN EROLLE MELENCIO / DEARLIE GERODIAS PHILIPPINES

3. 34 WATCHARAKORN SUASUEBPUN / M.L. WARAPA JUMBALA THAILAND

4. 29 YOSHIKAZU JIMENJI / RYOKO YAMAZAKI JAPAN

5. 20 JUNG HEE JUNG / KIM HYUN JIN KOREA

6. 22 MELVIN DE LA SERNA / CAROL BACERA PHILIPPINES

 

 今回私達は、初めて「日本代表」として試合に参加させてもらった。

代表としての責任を感じつつも、なんとか自分達の踊りが披露することが出来、

菅野組と共にファイナルに進んで4位になる事が出来たことは本当に嬉しかったし、

貴重な体験をする事が出来たと思う。

そんな経験が出来たのも、JDSFの役員の皆さん、チームリーダーの稲沢氏、

経験豊富な菅谷組・渡辺組・菅野組、そして一生懸命応援してくれたユースやジュニアの子達のおかげであり、

皆さんに深く感謝したいと思う。

 

 

 さて、この大会に関しては、まず航空券の購入が大変だった事から報告しなければならない。

「冬のソナタ」などの大ヒットなどにより、日本は空前の韓国ブームとなっているが、

この大会が行われる9月の連休は、まさに韓国への観光客の狙い目だったのだ。

日本代表が決まり、航空券を探す時には時既に遅し。航空券が見つからなかった。

仕方が無く帰りを一日ずらし購入。行きも仁川空港に夜到着するという便となってしまった。

 

 

 そんなわけで土曜日の夜に仁川空港に着いたところ、出迎えの中に「YAMAZAKI」の文字が。

出迎えがちゃんとあったという安堵と共に、なぜ「JIMENJI」ではないのか?

という疑問を持ちながら、出迎えの方と握手(笑)。

先に来ていた香港の選手と共にまだ来ていないインドネシアの選手を待つことになった。

...が全然出てこない。 結局40分程待っただろうか。

調べてみると、予定の飛行機に乗っていないことが分かり、出発することに。

バスは1時間程でホテルに到着。有名なホテルなのか高速バスが目の前で停まるようだった。

時刻は既に23時を過ぎており、他の選手は部屋で明日に備えているようだった。 

私達は少しお腹がすいたのでホテルの周りに繰り出したのだが、

ハングル文字が全く解らなかったし、2人だけという不安もあったので、

セブンイレブンでおにぎりとカップラーメンを購入した。

このコンビニとかは日本と同じなのでありがたかった。

...ちなみにカップラーメンは普通のものでも激辛であった。

 

 

 試合当日、会場へはバスで行く予定だったが、バスが出発時刻を早めて出発してしまった為にタクシーで会場へ向かった。

会場は大学の体育館で行われていた。フロアは観客席などが設置してあり

照明などもキチンとされていたが、控室が狭くて辛かった。

皆周りの廊下や学生の更衣室を使っていたが、なかなか大変だった。

さらに周りで多くの韓国選手が試合の合間にキムチを食べていた...。

この匂いはなかなかツライものがあった(笑)

 

 

 試合はジュニア、ユース...と進んでいったが、我らが日本代表のジュニア、ユースは勢いのあるいい踊りで頼もしく感じた。

実際に優勝や2位など、ほぼトップを占めた。素晴らしい。

ただ、他国の選手もナチュラルで良い動きをする選手がいて、育ってきているんだなぁと感じた。

それはアダルトでも同じで、良い動きをする選手は多かった。

特にラテンは表現やフィーリングで見方が変わることもあるとは思うが、急成長しているように思えた。

 

 

私達は最初の予選こそ若干緊張したが、皆の応援で余裕さを取り戻して踊ることが出来、

結果は上記の通り、健闘できたと思う。

 

 

 感じたことは、今後も組織での選手強化に力を入れていっていただきたいということ。

若い子達はもちろん、大学卒業組も含め、試合のないシーズンの土日を使った講習会や練習会を増やして欲しいと思った。

また、日本人選手がもっと海外へ出ていく必要性を感じた。

JDSFもそういう選手をバックアップしていく必要がある。日本国内だけで踊りの質を変えていくのはなかなか難しい。

現在のJDSFは組織として統一され、これからというところだとは思うが、

その大きな力で日本のトップ選手が世界に通用するよう、せめてアジア内ではトップでいられるよう

引っ張っていただきたいと熱望して、今回のレポートをしめさせていただきたいと思う。

 

 

 

           菅野さん、直子さんと

 

2004アジア大会 日本選手団

 

 

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